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観察者になる

おはようございます。素晴らしいお天気になりましたね。今日はふと感じたことをシェアさせてください。

 

人生には、様々な出来事が訪れます。嬉しいこと、悲しいこと、予期せぬこと、苦しいこと、幸せなこと。

 

その都度私たちの感情は動きます。そして、できるだけ自分のコントロールできる範囲内に、その感情の揺れを留めておきたくなります。

 

基本的に人は、変化を望まない生き物なので。

 

しかし、感情は勝手に湧いてくるもの。蓋をしても消えることはありません。その感情がなかったことにして、我慢して押し殺してしまうとどうなるか?

 

体が、「出したい感情があるよ、出せなくて苦しいよ」とメッセージを送ってきます。それが症状として表われるのが病気です。

 

なので、溢れる感情はそのまま溢れさせておきます。自分で慌てて拭いたり、押し止めようとしたりせず、その溢れている想いをただ、観察してあげます。

 

自分のことですが、まるでもう一人の自分がいて、観察しているような状態に持って行きます。

 

自分でコントロールしない、観察者になる、それは、自然な流れでなるべくしてなる方向に、導いてくれます。

 

なんだかモヤモヤすること、納得いかないこと、不安な気持ちなど、誰もがふと感じる想いってありますよね。そんなとき、渦中にいると見えてこないものも、一歩そこから外に出て、感情は溢れさせたまま、その後の流れを観察してみるのです。

 

すべては必然の流れになるはず。それが分かっていれば、本当は悩むことなんてないのかなと思います。

 

ヨガの最中でも、「このポーズ長いな」「あーこわいかも」「きついからもうやめたい」など、いろんな感情がマットの上で生まれます。その想いを遠くから眺めて、体の変化、心の変化を観察する姿勢が出来てくると、日常生活の助けになってくれます。

 

ヨガのアサナ(形、ポーズ)は、この脚を上にもっとあげよう!など意志を持ってやりがちですが、体とマインドを引き離し、脚を上に上げたときの、体の変化を感じていくようにすると、一つ一つのポーズが全く新しいものに見えてきます。日々、新しい体と心なので、同じポーズを行っても、全く同じ変化とは限らないのです。

 

コントロールを手放して、私が私の観察者になる。人生をもっと、楽しく、自由に生きるための、私の今の課題です。

 

日々、魂の向上が、本来の私たちの目指すところであり、その一環にヨガがあると私は感じています。